2017年5月15日 (月)

2017年度セミナーのご案内

システム・センタード・アプローチ研究会はYvonne Agazarianが創始したSCTSystems-Centered Training/Therapy/Approach http://www.systemscentered.com/)の理論を学びながら、グループのみならず、個人のシステムについても理解し、自己理解と他者理解を深めていきます。

 ☆お申込み、お問い合わせ☆

システム・センタード・アプローチ研究会 e-mailscastudygroup@gmail.com

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〇月例勉強会

日時:原則、第2日曜 12:3015:30 (9)

   2017 4/16(第3)、5/146/117/9、(8月と9月はお休み)、10/15(3)、11/1212/10

2018 1/28(第4)、2/113月はお休み

場所:北星学園大学C館 606教室(札幌市厚別区大谷地西2-3-1

参加費:500円(大学院生無料)

ナビゲーター:鴨澤あかね 

(北星学園大学・臨床心理士・日本集団精神療法学会認定スーパーバイザー)

内容:グループでのコミュニケーションを通じ、自己と他者理解について体験的に学びます ―SCT: Systems-Centered Theory /Trainingを中心として。

 タイムテーブル:

12:30 13:20 理論とスキル学習

 10分間)  休憩

13:30 14:15 グループ体験

 10分間)  休憩

14:25 15:10 グループ体験

15:10 15:30 グループ体験の振り返り

 ※この勉強会は基本のタイムテーブルは変わりませんが、最初の「理論とスキル学習」の内容が毎回変わります。連続参加だけでなくお試し参加等、単発の参加も歓迎いたします。

※この勉強会は日本集団精神療法学会の研修ポイント「体験グループ3時間」が取得できます。

※年間、全9回のうち、7回以上の参加で、(財)日本臨床心理士会資格更新ポイントとして「臨床心理士教育・研修規定別項 第2条第4項」において、4ポイント取得できます。

 

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〇システム・センタード・アプローチ研究会主催 ―1-Dayセミナー in 東京 2017

“機能的サブグループで育てよう! あなたの聴く力、知る力”

日 時:2017625日(日)9:30(受付9:00)~16:00

場 所:東京集団精神療法研究所 (東京都豊島区駒込6-6-23

    http://www.muse.dti.ne.jp/~itgip/index.html

内容:

・アクティブ・リスニング:相手の話をそのまま伝え返す

・心の作業の妨げになるコミュニケーションを取り除く

“質問”…自分の気持ちを示さないで、欲しい情報を一方的に相手から引き出す

→質問ではなく、なぜその質問をしたいかという“自分の気持ち”の方を話す

“そうです、でも(Yes, but)”を使わない

…表面的に同意しながら、違いを滑りこませて相手の意見にとってかわる

“なぜなら(Because)”を使わない

…出来事や体験の内容説明へと続き、「今、この瞬間」の気持ちから遠ざかる

・「今、この瞬間」に意識を向けて、気持ちや体験を話しあう

ナビゲーター:鴨澤あかね

    (北星学園大学・臨床心理士・日本集団精神療法学会認定スーパーバイザー)

参加費:6,000円(テキスト代込)

    3,000円(すでに下記のテキストをお持ちの方)※当日必ずご持参ください。

☆テキスト☆

『システム・センタード・アプローチ -機能的サブグループで「今、ここで」を  探求するSCTを学ぶ-』(創元社)Yvonne Agazarian著 鴨澤あかね訳

※参加費は当日受付でお支払い下さい。

※本セミナーは日本集団精神療法学会の研修ポイント「体験グループ 5.5時間」が取得できます。証明書が必要な方は当日お申し出ください。

 

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〇システム・センタード・アプローチ研究会主催 ―2-Dayセミナー in 札幌 2017

   “機能的サブグループで育てよう! あなたの聴く力、知る力”

日時: Day-1  8 19 日(土)13:00(受付12 時半) ~ 17:30

Day-2  8 20 日(日)10:00 1600

場所: 北星学園大学C 701 教室(札幌市厚別区大谷地西2-3-1

ナビゲーター:鴨澤あかね

    (北星学園大学・臨床心理士・日本集団精神療法学会認定スーパーバイザー)

※詳細は後日掲載します

☆お申込み、お問い合わせ

システム・センタード・アプローチ研究会 e-mailscastudygroup@gmail.com

2016年6月 6日 (月)

帰国しました

このブログは、SCTSystems-Centered Training http://www.systemscentered.com/ というグループ・アプローチの手法、その創始者であるYvonne Agazariang が住むPhiladelphiaで、私が1年間学んでいた時に書き始めました。そして2015年の330日に“A Systems-Centered Approach to Inpatient Group Psychotherapy”の翻訳作業に集中するため、このブログの更新をしばらくお休みします、と宣言し、今日までそのままになっていました。

 その後、私は2015811日に1年間の国外研修を終えて帰国し(今日のタイトルは“帰国しました”ですが、実はすでに10カ月が過ぎています)、翻訳書は

 『システム・センタード・アプローチ ―機能的サブグループで「今、ここで」を探求するSCTを学ぶ』

 というタイトルで2015920日に創元社から出版することができました。国外研修の1年を、“たった1年”と思うか“1年も”と思うかは人それぞれだと思いますが、想像以上に日本への適応が難しく、なかなかブログの更新ができないままでいました。

 システム・センタード・アプローチ研究会 scastudygroup@gmail.com

 を立ち上げて、札幌で月1回の勉強会をするようになり、昨日(6/6)は東京で“機能的サブグループを体験する 1Day セミナー in 東京”を開催しました。協力してくださる方も少しずつ増えてきてネットワークが広がってきましたので、この機会にブログを再開することにしました。

 SCTに関する情報、グループ・アプローチについて私が学んだり考えたりしていることをまた書いていこうと思います。ぜひ、ご意見、感想などをいただいて、一緒に学んでいきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 SCTWebsite  http://www.systemscentered.com/

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システム・センタード・アプローチ研究会 月例勉強会

グループ・アプローチについて学ぶ ―SCT: Systems-Centered Theory /Training の視点から

日時:第2日曜日(8,9,3月はお休み)930分~1230
  
  2016 4/10,5/8,6/12,7/10,10/16(3),11/13,12/11,
    
2017 1/8,2/12 

時間:09:30 12:30


場所:北星学園大学C館 606教室(札幌市厚別区大谷地西2-3-1


参加費:1回ごと500円(学生無料)※連続参加も単発参加も両方可能です


ナビゲーター:鴨澤あかね(北星学園大学、日本集団精神療法学会認定スーパーバイザー)


内容:グループ・アプローチについて、理論と体験学習を通じて学びます。

お問い合わせ:
システム・センタード・アプローチ研究会e-mail:scastudygroup@gmail.com

2015年3月30日 (月)

お知らせ

Philadelphiaで開催されたSCTの年次Conferenceが、先週金曜に無事終わりました。SCTでは、自身の防衛 defenseを減らして、個人システムからグループのメンバーシステムへと境界 boundaryを渡ることが常に目標です。私自身は、この目標に向けてかなり頑張ったと思いますが、同時にかなり疲れました。参加メンバーの一人がConferenceを“SCTマラソン”と言っていましたが、その通りだと思いました。

さて、“A Systems-Centered Approach to Inpatient Group Psychotherapy”の翻訳作業に集中するため、このブログの更新をしばらくお休みします。

この翻訳本は2015年10月に日本で出版予定です。

ではまた、そのうちお目にかかります。それまでみなさま、お元気で!

2015年3月17日 (火)

28)グループで考える

※お知らせ…SCTの年次カンファレンスに参加するため、来週のブログの更新はお休みします。

 

 SCTの創始者であるYvonne Agazarianは、パーソン・システムのトライアッドの一番内側、“個人内部 Inner-Person”の図式を変更し、理論を修正したことを昨年の秋に発表しました(詳しくはブログの7をご覧ください)。この修正は、2013年の春に行われたSCTの年次カンファレンスの大グループで、体験を個人的なものにしてしまい(personalizing)、グループの文脈ではなく、個人の文脈で発言するメンバーを、機能的サブグループがスケープゴートにした、つまり機能的サブグループが機能しなかったことに端を発しています。

 

 SCTは機能的サブグループを用いると、通常のグループで大抵の場合に生じるスケープゴートや、患者に意味づけられる人 Identified Patient が生じにくい、ということを主張していますので、にもかかわらず、機能的サブグループがスケープゴートを生み出したことにより、理論の修正を迫られたわけです。そして約1年半の月日をかけて図式が修正されて発表されたのですが、この修正については今も議論が続けられていて、微細な部分での修正が刻々と進行しています。

 

 今日のブログのテーマは“グループで考える”ですが、このSCT理論の修正は、実はYvonne一人で考えているわけではなく、グループで考えているということを知り、そこから何か学べるのではないかと思い、それを書きたいと思ったからです。

 

 YvonnePhiladelphiaNew Yorkを中心にいくつかのセミナーを行っています。ほとんどのセミナーは、全体で3時間~4時間、前半が理論に関するグループディスカッション、後半が機能的サブグループを使ったグループ体験、という風になっていて、各セミナーに参加できるメンバーのレベルがSCTのトレーニング経験によって分かれており、その種類としては、まだSCTを知らない人を含めてだれでも参加できるもの Drop-in Group、基礎 Foundation 、中級者 Intermediate 、上級者 Advanceという風になっています。私が参加しているYvonneのセミナーは、上級者を対象としているもの以外のいくつかなので、その経験に基づいてここから先のことは書きたいと思います。

 

セミナーの前半部分で行われる理論に関するグループディスカッションですが、Drop-in Groupと基礎 Foundationのセミナーでは、Yvonneが自身の考えをまず提示するというよりは、メンバーから「今日は、理論のどういうことについてディスカッションしたいか」を募り、出された意見に基づいてYvonneが解説したり全体でディスカッションすることが多く、中級者 Intermediate対象の場合にはその逆で、Yvonneが自身の最近の考えを提示して、それについてどう思うかをメンバーが意見を出してディスカッションする、という進行になっています。

 

 私が参加している中級者 Intermediate 対象のセミナーは、1回の参加人数が6名前後と少なく、中級者といっても、私以外のメンバーは、SCTの創設時からのメンバーであったり、SCTのライセンスを持っていたりと、現実的には中級というより上級者が参加していることもあるのでしょう、Yvonneが提示する考えについて、それぞれがかなり専門的に高度な意見を話し、それにまたYvonneが刺激されて色々と考えて、という風になることが多く、そうやってさらに理論が発展していく、という風に私の目には映ります。

 

 別の言い方をすれば、この中級セミナーに参加しているメンバーのほとんどは、自身がトレーナーとしてSCTのセミナーを開催しているような人たちであり、今更、毎月定期的に、しかもセミナー代を支払って集まって、中にはわざわざ遠方から来ているメンバーもおり、そこまでしていったい何を毎回話すのだろう?もう十分にSCTを習得、実践しているではないか?という気が私はしてしまうのですが、どうやらそうではないらしいのです。

 

 このセミナーに参加していて、私は専ら聞いていることの方が多いのですが、議論はそうそう毎回、充実して深まる、というわけにはいかず、なんとなく雑談のようなことで終わってしまう場合もあります。それでもこうやって定期的に集まって、SCTについてみんなで考え、作業するということが本当に大事なのだろうな、という印象が私にはあります。私はこういう風な関係性を築いたYvonne、それだけでなく、むしろYvonne一人の力でそうなっているというよりも、個人も、システム全体も機能するシステムがそこにある、ということを、とてもうらやましく思います。

 

Yvonneの立場から言えば、Drop-in Groupと基礎 Foundationのセミナーでは、どちらかといえば理論を教える立場に立ちながらも、そこで出てくる色んな意見を拾い上げて自身の思索に取り込んで活用する、中級者以上のセミナーでは、自身の考えや受けた刺激を具体的な理論として結実するために、メンバーの意見を求める、という風になっているようです。

 

 昨年11月に出たSCTの最新のNews Letterに載っているYvonneの“Our Person-as-a-system Revisited”という論文の中で彼女は次のように書いています。「この論文の中で、私は一貫して“私たち we”を使用する。確かに私はリビング・ヒューマン・システム(SCTのもとになっている理論)の開発者であるけれども、私の洞察は、SCTの理論セミナーやトレーニング・グループや、セラピー・グループに刺激されてのものであり、私と一緒に新たなものへとチャレンジしているSCTの実践家とディスカッションしてのものだからだ。特にこの最新の修正のもとは、2013年のConferenceでの大グループのメンバーシップから生じており、グループのリーダーたちや、私から生じたものではない。」

 

 今回、321日~27日にPhiladelphiaで開催されるSCTの年次カンファレンスに、楽しみに行ってきます。

2015年3月 9日 (月)

27)機能的サブグループ

 今回は、SCTの基本メソッドである機能的サブグループ(以下、FSFunctional Subgroupingと記載します)について書きます。

 SCTのワークショップに参加すると、FSは次のYouTubeのサイトにあるような説明をまず受けます。https://www.youtube.com/watch?v=3A_ZsQgmbAM

 

 このサイトの説明の概略は以下です。

 

・互いに異なるもののなかったグループに葛藤 conflict が生じます。その片方がブルー、もう片方がイエローで示されます。

・グループに葛藤が生じた場合、通常はブルーとイエローが互いに攻撃や非難をしあいます。コミュニケーションのパターンとしては「そうですね、でも。」“Yes, But.”が多用されて、互いに折り合うことなくやりとりが行き来します。

FCは上記のパターンに介入し、ブルーとイエローがやり合う代わりにブルーはブルー、イエローはイエローどうし、似ているものの中で語り合うことを求めます。似ているものどうしの方が、そこに実は含まれている異なるものを受け入れやすいからです。

・似ているものどうしで語りあうことによって、最初は同じにみえていたものの中に、違いがあることがわかってきます。その違いは大きなものではなく、お互いが受け入れられる小さな違いです。それが形の違いで示されます。

・ブルーとイエローのサブグループがそれぞれ話し合いを行い、各サブグループの中の小さな違いを発見すると、ある地点で、最初はただ違っていると思っていたブルーとイエローのグループの中に、共通するものがあることがわかってきます。すると、この2つのサブグループの境界が開きます。

・グループの葛藤および分裂は解決し、全体としてのグループは、もとのグループよりも、より複雑になり、発達したものになっています。

 

 これが、FCを説明する時にSCTが示している基本モデルなのですが、これはグループに葛藤が生じている時のモデルで、実はFCにはこのモデルとは違う説明があります。というのも、FCを用いたトレーニングに参加した時の私の体験は、この基本モデルとは異なる体験のことが結構あり、ずっと疑問に思っていました。先日、そのことをYvonneに質問して異なる説明があることわかったのです。

 

 まずFCのやり方から説明します。これはどんな場合も同じです。

 グループの今、ここで、の中で体験していることを、話したい人から(メンバーAとします)話します。たとえば「これから何が始まるのかわからなくて不安があるけど、いったい何が起きるのだろう、という好奇心やワクワクする感じもある」などです。

話し終わったら「みなさん、どうですか?」“Anyone else?”と言います

 これに共鳴 resonate した人は(メンバーBとします)、まずメンバーAの言ったことの伝え返し reflectionします。この伝え返しは、単なるオウム返しではなく、相手の話したことのハートを返すことが重要です。しかも「(私は)あなたから不安と好奇心の両方を感じます」という聞き取った私(メンバーB)が主語ではなく、あなた(メンバーA)そのもの「あなたは何が始まるのかわからなくて不安があり、同時に次に何がおきるのかという、ワクワクや好奇心がある」を返すことが求められます。やってみるとこれが結構、難しいことに気づきます。

 最初に話したメンバーAが、それに共鳴したメンバーBに十分にわかってもらえたと思ったら、メンバーBはメンバーAから離れて(分離個体化のプロセス)、今度は自分の体験していることを話します。

話し終わったら「みなさん、どうですか」“Anyone else?”と言います

 

 FCはこの①②③の繰り返しです。この一連の手続きがグループで展開される中で、それらと相容れない違いを自分の中に発見した場合には「私は違う感じを持っています」“I have a difference.”とグループに表明し、別のサブグループを作って探究する準備がその時グループにあるかどうかをグループに問う、という手続きを踏みます。実は、この場合が最初に説明した、グループに葛藤が生じている時のFCのモデルです。

 

 私のトレーニング体験で何が基本モデルと違っているかというと、それは③でメンバーBがメンバーAから離れて、自分の体験を話す時に生じます。この時メンバーBは、どんなことを話しても良いことになっています。そうすると、メンバーAに共鳴したという段階を踏んでいるために、全く違うことは出てはこないのですが(たまに全く違うように聞こえることが出てくる場合がありますが、その場合は、メンバーAが話したこととのつながりは何か?をリーダーに問われ、もし本当に全く違っている場合には、異なるもの differenceとしての手続きを踏むことになります)、メンバーBの話は、メンバーAの話と一部の共通点を含みつつも、結構、違う話がでて来るのです。そしてその話につながる人(メンバーCとします)が話して、さらに・・・と繰り返していくと、最初に話した人の話とは共通点がない話に、大抵の場合なっています。これは明らかに、基本モデルが示している“似ているものどうしで探究する”のとは異なっているといえます。

 

 Yvonneの答えは「これはグループに葛藤がない時に、グループが探究を進めて発達していくモデルだ」ということでした。これに私の理解を加えると、肝心なのは共鳴 resonate からスタートする、ということのようです。これはSCTreflection のマニュアルにも書いてあることですが、人が自分とは異なる意見を受け入れやすい時というのは、まずは、相手に自分のことがわかってもらえた、聞いてもらえたと体験し、そのことで心にゆとりができている時です。「違う話も聞いてみようかな」と思えるのは。それに反して「そうですね、でも。」“Yes, But.”という、一見「そうですね」と同意で返しつつ、即座に反論が出てくる場合には、「ああ、反対なんだな」という風になって、違うことを受け入れるのが難しくなってしまいます。

 

 FCは葛藤解決の手法であると同時に、グループに潜在している多様なものを明らかにして、それを排除するのではなく統合し、グループを発達させていく手法だと言えるでしょう。

2015年3月 3日 (火)

26)言葉が体験を生み出す

 SCTでは気持ちがどのようにして生じたか、ということを重要視します。私たちはグループの中で気持ちを言葉で語りますが、気持ち feeling を表す言葉には「怖い」とか「楽しい」とか「怒っている」など、感情 emotion をシンプルに表現するものと、「罪悪感」とか「捨てられた」とか「無視された」など、その人の体験から生じた気持ちとそれにまつわるある種の考えや解釈の両方が合わさった複雑なものがあります。Yvonneの本(Agazarian, 2001)に書かれているのは次のような解説です。

 

 「罪悪感」は自身が体験した時に起きた感情と、“そうすべきではなかった”というその人の意見 opinion との間に生じている葛藤を符号化した言葉です。「捨てられた」とか「無視された」という言葉は、体験の解釈を含んでいる言葉です。そして、そんな風に言葉によって複雑な体験が、ある解釈の中に枠づけされてしまうと、逆にその言葉が体験を生み出してしまう、という現象が起きるのです。

 

 ここで補足しておきます。“feeling”と“emotion”は英和辞典を引くとどちらも「感情」という訳語がでてきますが、“emotion”は言葉にならない感覚的な体験を表し、“feeling”はそういった感覚的な体験に名前をつけたものを表していて、前者を「感情」、後者を「気持ち」と訳しわけています。「感情的になる」という表現は、それが怒っているのか、悲しくなっているのか、楽しくて興奮しているのか、なんだかよくわからない時によく用いられ、それがどんな気持ちかわかれば「怒っている」とか「楽しい」という気持ちを表す言葉で表現する、という説明でわかっていただけるでしょうか。

 

 話をもとに戻すと、「捨てられた」とか「無視された」といった体験の解釈によって生み出される気持ちと、実際の体験そのものから生み出される気持ちは異なっています。また「捨てられた」とか「無視された」といった枠づけが生じると、その人は自動的に犠牲者の役割を取ることになります。これらの防衛をほどいて、実際の体験そのものを探究し、そこから生まれる気持ちを探究することで、まだ見ぬ新しいものを発見する、それがSCTがつねに目指していることです。

 

 たとえば「母親は妹ばかりを可愛がって、私はいつも無視されていた」という話を、ある人が語った時、母親が自分を無視した、というその人の解釈は、自分はそういう母親の犠牲者であり、そのことに怒りを感じるという体験を生み出します。母親がその人を無視した、というのはもちろんその人の解釈というだけでなく、実際の事実も含んでいるでしょうし、実際の体験の反応として“怒り”も感じたことでしょう。しかし本当にそれだけ、もしくはそうなのでしょうか?自分の親がいかにひどい親かをカウンセリングで語るクライエントの親を、どんなにひどい親かと思って実際に面接に来てもらい会ってみると、結構良い人だった、という経験のあるセラピストは少なからずいるのではないでしょうか。

 

 精神分析の場合、実際の体験や現実がどうであれ、クライエントが語った体験が、クライエントにとっての現実だ、という意味でこれを「心的現実」と言いますが、SCTでは、本来の体験に反応して生じた気持ちを、解釈とか符号化という言葉による枠づけによって防衛していると考えます。また「無視された」などの言葉の背景には、「私は母親にいつも無視されて育った。だから母親と似た振る舞いをする人に出会うといつも無意識に怒りを感じてしまい、その人とうまくコミュニケーションできない」というたぐいの理解がすでにその人の中に存在しています。SCTでは、そういう体験の解釈や説明 explain は、すでにその人の知っていることをまた知るだけであり、まだ知らない未知の何か unknown に出会うには、体験を探究する explore 必要がある、ということを強調しています。

 

 さて私は先日、アメリカ集団精神療法学会に出かけ、その中で2日間の体験グループに参加してきました。そのグループは小グループで、グループリーダーのオリエンテーションは心理力動的、中でも間主観的なアプローチを謳っていました。構造は1日目の午前中のセッションが3時間、午後3時間半、2日目の午前中3時間半、自由連想的にメンバーが話をする、しかも休憩時間なし、最後2日目の午後のセッションは、前半2時間45分の自由連想的な話のあと10分の休憩を挟んでリーダーがグループ全体のプロセスの振り返りを30分する、というものでした。休憩なしに3時間半ぶっ通しで話をする、というのにまずはとても驚きました。あとでリーダーに確認したところ、専門家のトレーニング・グループでは、こういう構造は特に珍しいものではなく、ただし実際の臨床でのセラピー・グループは、日本で通常行われているのと同じく90分だということでした。

 

 グループでは「自分の母親がとてもナルシスティックな人で、そういう母親に育てられた自分はいつもこんな風で」とか「優秀な兄と比べられて、いつも自分は一歩下がっていて、一番になれなくて」とか「しばらく前に大きな病気をして、一応は完治したけど、また最近調子が悪くて」などの、自身の体験にまつわる話、それに解釈が付加された話などが、時には涙ながらに語られました。自由連想的に話をするグループでこういう話になることは特に珍しいことではありません。もちろんSCTではありませんから、それをリーダーが遮って直面化することは一切ありませんでした。

 

 私は段々イライラしてきました。こういう語りを延々とすることは時間の無駄ではないか、といった批判的な気持ちにもなりました。けれども、ただ批判的になって過ごしていても、それこそ時間の無駄だと思い、そこで生じることに好奇心を持って過ごす努力をしました。これは本当に努力が必要でした。「Akaneは今、何を感じている」とリーダーに聞かれ、「家族にまつわる話があれこれ出てきて、なんだかイライラしている」と話すことはできました。イライラ以外にも表現したい気持ちがあるのに、うまい言葉が見つけられない私を助けて、「退屈してる」と、その時の私の気持ちにぴったりの言葉を見つけてくれたメンバーもいました。涙が出そうになったり、色々と気持ちが動く体験もしました。「確かにこんな風にしてゆっくりと、遮られず、批判されず、話を聞いてもらいたい時はあるな」とは思いました。でもどうしても最後まで残った疑問は、たとえば「ナルシスティックな母親に育てられたから、自分は云々・・・」とか、確かにそうかもしれないけど、本当にそうなのか?そういう話をして、それを聞いたメンバーが反応し、その反応に刺激されてまた新たな気づきがうまれる。それはそれで気づきだろうし大事かもしれないが、でも・・・です。

 

 あとSCTでは、冗長さ、曖昧さ、矛盾した内容はコミュニケーションのノイズであり、できるだけそれを取り除くことが求められますが、この、私が体験したグループは時間にゆとりがあったせいもあるのでしょうか、1人の人が長々と話す傾向が非常に強く、私の場合、英語で長々話されるとわからない単語や言い回しがどんどん増えてくることもあり、要するにノイズがどんどん増えるため、段々話を聞き流すようになってしまい、共感的に話を聞くのが本当に難しくなる体験をしました。

 

 みなさん、どう思いますか? Anyone else

2015年2月23日 (月)

25)タヴィストック・モデル(Tavistock model)

 SCTの創始者Yvonne Agazarianは、英国のタヴィストック研究所で長年、心理力動的なグループのトレーニングをうけています。彼女はその手法を“Tavistock model”と呼び、本や論文、時にはセミナーでこれについて言及しています。タヴィストック研究所といえば、精神分析の世界で有名な分析家のメラニークラインや、ビオンなどが研究していた場所で、“Tavistock model”はブログ―の4)に書いたビオンの考え方に基づいており、大枠としては「グループのメンバー個人よりも、全体としてのグループに介入する」モデルです。

 

今日は“Tavistock model”に関することを書きますが、その前に1つ断っておきたいのは、これが、Yvonneが体験した、そしてその体験をYvonneから聞いた私の理解している“Tavistock model”だということです。今の“Tavistock model”がどうか「彼ら(タヴィストック)は私が体験した頃からモデルを修正しているし、最近のことは私にはわからない。SCTだって10年先にどんな風に発展しているか私にはわからないわ」とYvonneも言っています。なので、ぜひ、現在の“Tavistock model”に詳しい方がいらっしゃったらブログにコメントいただけると嬉しいです。余談ですが、86歳のYvonneSCT10年先を口にしたことが私には驚きでしたが・・・

 

まず、Yvonneがどういう時に“Tavistock model”を引き合いに出すかです。それは、SCTのグループで他者に反応する際に、相手の言葉だけでなく、“アイコンタクト”や豊かな表情で情動調律することを強調する時です。「タヴィストックのリーダーはこんな風に無表情(Blank face)だ」といって、突然、無表情になってしばらく動かなくなり、「どう感じる?」とメンバーたちに問うのです。そして「こういう表情の人に、人は心を開かないし、信用しない」と説明し、さらに、彼女の新しいモデル(※詳しくはブログ7を参照してください)を使って「こういう時に、人は自分の安全を確保するために(システムの一番内側の)サバイバーシステムはその境界を閉じて、外との交流を絶つ」と。

 

 こう書いてくると、Yvonneが“Tavistock model”を非難しているようにみえますが、そうではありません。確かに“Tavistock model”のリーダーの無表情(Blank face)にはマイナス面があり、SCTではリーダーがそうしないだけでなく、メンバーが無表情で他者と交流している時には即座に介入して修正する、という点ではTavistock model”の非難ということができるのですが、彼女は自分のうけたタヴィストックでのトレーニングを、非常に高く評価していますし、「もしチャンスがあるならまたやりたい」と心から言っているほどです。

 

 それで思い出したのが、もう随分前になりますが、私にとっての最初のトレーニング・グループの体験です。この時の私は、精神分析について学び始めたばかりで、それもまずは個人心理療法からでしたので、心理力動的なグループに対する何の予備知識もなく、経験もありませんでした。なぜこのグループに参加したのかというと、大学院を卒業してすぐに勤務した病院のデイケアで、SSTSocial Skills Training)をすることになり、私は上司に言われてSSTの研修会に行き、技法を学んで実際にSSTをやるようになっていました。しかし、しばらくやっているうちに、グループの動きが読めないと、うまくSSTが展開しないと思うようになり、それを学ぼうと思ったのです。自分でいうのもなんですが、SSTの研修会には何回も、結構熱心に参加しましたが、講師の人たちは、なんだかとてもうまくグループを展開させるのに、なぜそんな風にできるのか、SSTの研修会では教えてもらえないと感じていたのです。それで、当時通っていた精神分析のセミナーの関係で、定期的に送られてくる各種の案内の中に“体験グループセミナー”というのを見つけ、何の予備知識もなく飛び込んだわけです。

 

 メンバーは30人ぐらいだったでしょうか。その中に私が知っていたのはたった1人だけ。それも“学会でみかける有名な先生”として一方的に知っていただけで、とても知り合いといえる関係の人ではありませんでした。時間がきて、コンダクター(ちなみにこのグループのオリエンテーションは“Tavistock model”ではなく“グループ・アナリシス”だったのですが、その場合、一般的にはリーダーとかファシリテーターと呼んでいる人を、コンダクターと呼ぶことは、後になって知りました)が、「さあ、時間です。今日は初日なので、順番に自己紹介しましょう」といいました。このグループは1年を一つのサイクルにして、毎年メンバーの入れ替えがあるグループでした。継続が可能だったので、以前からいる人、私のようにその年のクールから参加する人、色々いました。もちろん、私には誰が以前からいて、誰が私と同じく新しいのか、知る由もありませんでした。

 

 自己紹介は、リーダーの右隣の人から「○○です」と、みんな、ただ苗字を名乗っただけで、あっという間に終わってしまいました。それから20分間、沈黙でした。コンダクターは腕を組み、足を組み、そして無表情で、グル―プのメンバーをじ~っとみながら座っていました。メンバーもほぼすべて、無表情でした。本当に怖かった。「いったいこれは何だろう?」と思いました。今まで見たことも聞いたこともない世界でした。「どんでもないところに来てしまった」と思い、自分がそれまで社会の中で学習してきた常識が、全く通用しない場所に放り込まれて、まさにお手上げでした。

 

 やっとコンダクターが口を開いて「このグループが沈黙になることは珍しくないが、開始直後からここまで長く沈黙していたのは初めてではないか」という意味のことを言いました。そしてあるメンバーが発言をして、続いて他のメンバーも少しずつ発言をし始めました。それは、いわゆる“活発な話し合い”とはかけ離れていました。沈黙を挟みつつ、発言したくなった人が言いたいことを発言し、時には前に出た話題と関係ない話が出てくる、といった感じです。内容はもうほとんど忘れてしまいました。覚えているのは、メンバーたちの発言から、誰がその年の新しいメンバーか、ということがなんとなくわかってきて、メンバーの中で、まだ何も発言していないのは私だけになった、ということです。とはいえ、私は発言する勇気がわかず、どうしたものかと困っていました。

 

 90分のグループはあと残り10分ぐらいになっていたと思います。コンダクターが「Akaneさん(実際は私の苗字)どう思う?」と私に向かって言ったのです。それで何を答えたかは忘れました。でも私はそのリーダーの発言に救われたのです。今にして思えば、メンバーの一員として認めてもらえた、という感じでしょうか。そのグループにはその後、私の仕事の事情で通えなくなるまで10年以上通いましたが、あのリーダーの発言があったから続けられたようなものです。とはいえ、最初の約3年はまったくと言っていいほど発言できず、毎月一回、グループの日が近づくと、1週間ぐらい前から憂鬱で仕方ありませんでした。それでもなぜ通い続けたのかは今だになぞです。

 

 私の参加したこのグループは“Tavistock model”ではありませんが、でもコンダクター(リーダー)が“無表情(Blank face)”であることは共通しています。そしてメンバーも無表情でした。「なぜみんな、こんな怖い顔をしてずっと黙っているのだろう」というのがグループに参加した時にいつも私が思うことであり、しかしそれをグループで聞いてみることもできず、自分もまた“怖い顔”の一員としてグループに座っていました。もしかしたら、今でもそうかもしれません。ただ、最初に参加した時よりも“そういうものだ”という風に慣れてしまったので、怖いとは思わなくなりましたが。というのも、現在、日本で行われている心理力動的なオリエンテーションのグループは、大抵の場合このスタイル、すなわちリーダーが“無表情(Blank face)”のスタイルです。ただし、これは私の体験的な知識に基づいているため、実際に統計をとったわけではありません。

 

 それでYvonneが言うところの“Tavistock model”がどう役に立つか、ということなのですが、リーダーが無表情であることで、メンバーは当然、“逃避”の状態になり、そしてパラノイック(妄想的)になります。私が最初の3年、ほとんどグループで発言せず、聞きたいことを聞くこともできず、人の表情をみてあれこれ詮索して不安になっていたようにです。「自分がいかにパラノイックになり、それがどんなものかということが理解できる」と言うのがまず1つめ。

 

それから、“Tavistock model”のリーダーは一切、メンバーのお世話をしません。基本的にはビオンの基底的想定(闘争/逃避、依存、ペア)に基づいてそれがグループに生じた時に、解釈という形でグループに介入する、その繰り返しです。SCTのように、「アイコンタクトをしましょう」とか機能的サブグループを作るために、「お互いの話をこんな風にききましょう」という教育、ある意味のお世話をすることは一切ありません。するとメンバーは、「いかに依存せずに、自分の力、そしてお互いの協力でやっていくかを学ぶ」のです。

 

 ただし、“Tavistock model”および一般的に心理力動的なグループは、その展開に非常に時間がかかります。またグループの作業にマイナスな規範(Norm)が一度できあがってしまうと、それは容易なことでは変わらないために(SCTが、グループに規範が自然発生する前に、機能的サブグループが作れるような規範を、メンバーを教育して先に設定してしまう理由です)、グループの作業に必要以上の時間を要したり、時にはグループが壊れたり、メンバーにとってグループが傷つき体験になってしまう、ということが生じます。これについては、SCTも含めどんなグループでも、こういうマイナスの現象が、グループに起きる可能性を含んでいますので、一概に心理力動的なグループのマイナス面とはいえませんが。

 

 “無表情(Blank face)”が、メンバーをパラノイックにしてしまう、ということなど、「“Tavistock model”は技法を修正した」とYvonneは言っていましたが、その詳細はわかりません。途中にも書きましたが、どなたかご存じでしたら、また、日本の心理力動的なグループに関して、今回、私がとりあげた“無表情(Blank face)”について、何かコメントがありましたらぜひお寄せください。

2015年2月16日 (月)

24)悲観的な予測(negative prediction)

 ブログの14)不安の解消(undoing anxiety)のところでも書いた“悲観的予測 negative prediction”について今回は書きたいと思います。

 

 今、日本は3月末の年度末を控えて、今年度の事業報告や決算、来年度の計画や予算などの作成に追われている時期だと思います。私もPhiladelphiaにいながら、日本の所属大学に今年度の業績報告書や来年度の研究計画書を送る必要があり、自身の仕事に関する振り返りや先行きを考える時間に少なからぬ時間を費やしています。

 

 あれこれ考えていると、時にイライラしたり不安になります。「この業績がどう評価されるのか」「何か書き落としているものはないか」「本当にこの研究計画が実行できるのか」「研究計画を実行するためには、今から○○を準備しておかなければ間に合わないのではないか」etc・・・と思考がめぐっていきます。

 

 この思考の背景には多くの場合“悲観的予測 negative prediction”が基本的に横たわっています。上記との対応でいえば「この業績が低く評価されて研究費が少なくなってしまうかもしれない」「必要なものを書き落として、実質より評価が下がるかもしれない」「加重な研究計画をたてて、それが負担やストレスになるかもしれない」「準備が足りずに研究計画が実行できないかもしれない」などです。

 

 SCTの観点でいえば、こういう“悲観的予測 negative prediction”に対しては、「あなたは未来を100%予測できるのですか」という介入を行って(当然、答えは“No”となるのですが)、自身の思考が自身を苦しめる結果になっていることへの気づきを促します。

 

 それと、こう書いてきて気づくのは、この“悲観的予測 negative prediction”が何を根拠に形成されているのかが、不明確なことです。いわゆる“data”とか“criteria”です。「業績報告書の項目をどのように満たしていれば、あるいは、どのレベルに達していれば、高く評価されるのか」とか、「研究計画の実行にあたって、具体的にどの項目をいつまでにやっていることが必要なのか」などです。それらを検討して、実際に必要な項目を満たしていないとか、過剰なスケジュールを組んでいることがわかれば、それを修正すれば良いということになります。心理療法の領域の言い方でいえば“現実検討 reality testing”をするわけです。

 

 このようにプロセスとして書き出してみると、悲観的な予測をしていることに気づき、現実検討をして、不安やイライラを解消することは、簡単なことのように思えます。しかし、“現実検討 reality testing”をするというのは、なかなか難しいものです。私の場合、「業績を低く評価されるかもしれない」の裏には「高く評価されたい」という気持ちがありますし、しかし「高く評価されるのに必要なだけの業績を自分はあげていない」という現実があるかもしれません。するとそれは“見たくない”“直面したくない”現実であるため、知らず知らずに避けています。そして「低く評価されるかもしれない」と考えて不安になるのですが、でももしかしたら「高く評価されるのに必要なだけの業績を自分はあげていない」という現実を知る痛みよりも、不安になっている方が当面は楽なのかもしれません。評価するのは自分ではなく他者、つまり自分ではどうにもできないことで他者の責任ですし、評価が低くなったのは、「必要なことを書き落としていた」自分の表面的なミス(必要な業績を上げていないという本質ではなく)のせいかもしれませんから

 

 同じように「本当にこの研究計画が実行できるのか」の裏には、それが加重な計画であれなんであれ、“その計画が実行できるような自分でいたい”とか“自分にはそれができる力があるのだ”いう理想があります。そして自分の能力が実際にそれをできるかどうか、という現実の検討、多くの場合は“思っているほどには自分はできない”という現実に直面することは避けられています。それで思い出したのですが、精神医学者の土居健郎先生がどこかにこんなことを書いておられました。「“できること”を証明するのは簡単だ。“やって、できた”という結果をみせれば良いだけだ。しかし“できないことを”を証明するのは難しい。“もっとやればできるかもしれない”という可能性がどこまでも残ってしまうからだ」と。そういう可能性にかけて、あるいはすがり、いつまでも現実の自分に直面しないで、実際にできることをやるチャンスすら逃してしまう、というのは私たち人間にありがちな傾向ではないでしょうか。

 

 現実に直面する痛みや不安を探究する先にみえてくるものは、何なのでしょうか?そのことに“好奇心 curiosity”を持って、すでに知っていること(たとえば、痛みを避けるために現実に直面しないで不安になっているのだ、とか)に再び出会うのではなく、まだ知らない“未知のもの unknown”に出会う、それが私たち人間のシステムが発達するための第一歩だ、というのがSCTが強く主張していることです。

2015年2月10日 (火)

23)オールド・ロール(old role)

 “オールド・ロール”は、過去に身に着けた、その時には適応的な、そして今も身にしみついていて、知らず知らず出てきてしまう役割のことを指します。「過去の役割」「古い役割」「身にしみついた役割」など、いくつかの訳を考えてみたのですが、どうもぴったりくるものがみつかりませんので、そのままカタカナで“オールド・ロール”と記述することにしました。

 

精神分析でいうと、過去の他者との関係性(対象関係)が、その後も繰り返し繰り返し、相手を変えながら無意識に出てきてしまう(反復強迫)、そういう、その人の振るまい、ということになります。

 

少し脱線しますが、最近、私は“無意識”という言葉を使うのに慎重になっています。“意識 conscious”に対する“無意識 unconscious”は、厳密にいうと、“抑圧 repression”というメカニズムが介在し、感情や欲望が“意識”から“無意識”、すなわち意識できない、あるいは意識しないところに追いやられていることを指しています。しかし、近年の乳幼児研究などでは、“意識していない”ものは、必ずしも“抑圧”が介在してそうなっているだけでなく、単純に“意識していない”ものがあると言われています。もちろん、これは“抑圧”の介在する“無意識”があることを否定するものではありません。そしてこの乳幼児研究の立場では un-conscious でなくて non-conscious、日本語にすると“非意識”ということになります。今日のテーマ、オールド・ロールでは後者の方を採用して、“知らず知らずに”とか“気づかないうちに”という言葉で記述したいと思います。

 

 さて、先日のワークショップでのグループ体験です。私の参加したグループは、メンバーが7名、リーダー1名、コ・リーダー1名の小グループでした。私たちは3日間、機能的サブグループを使った体験グループと、その体験を“力の場 Force Field”(詳しくはブログの15を見てください)を書き出して振り返る、という作業 Work を繰り返していました。

 

 3日間のグループ体験も、ほとんど終わりが近づいた頃のセッションでの出来事です。グループは、その前に行った“力の場 Force Field”の作業の中で、あるメンバーどうしが、作業の進行の仕方をめぐって、意見の違いがあることを表明し、葛藤的になるという状況が起きました。そして、そのメンバーどうしは、互いが違う、ということをまず認め合い、ある種の妥協をし、一応、進行をどうするか、という問題に関しては解決したのですが、互いが抱えた葛藤は完全に解消したとはいえず、なんとなくモヤモヤした雰囲気のまま、作業を終えました。

 

 そのモヤモヤは機能的サブグループを使った次の体験グループのセッションに持ち込まれ、意見が食い違ったメンバーそれぞれが、今もかかえるモヤモヤや、イライラについて話をし、またそれに共鳴 resonate したり、その話から感じる体験を、他のメンバーが、サブグループでつながりながら話していきました。私はその前の“力の場 Force Field”の作業でのことを、大筋としては理解していたのですが、英語の理解力の問題もあって、いくつか不明瞭なことがあり、なんとなく、うまく共鳴 resonateしたり、サブグループに入ったりできないままグループにいました。体験としては、大人の喧嘩の大筋がわかりながらも、そういう大人の事情を完全にはわかっていない子どもの私は、喧嘩に口を挟まず、はらはら、ドキドキ、イライラしながら、しかしおとなしく見ていなければいけない、そういう感じです。

 

 でも、そのはらはら、ドキドキ、イライラに堪えられなくなり、「自分はイライラしている」と話したメンバーにつながってサブグループに入り、私のイライラに関して、前述の“大人の喧嘩をおとなしくみている子どもの私”についてグループで話をしました。そして、これが知らず知らずに発せられた私の“オールド・ロール”であることに気づいたのです。子どもの時に身に着けたこのロールは、その時は、それが場に適応するために役立ったのですが、実際に大人になった今の私にとっては、グループに関われず、自分自身もフラストレーションを抱えるという結果を生んで、役には立たないロールになっています。

 

 「どうしてそういうオールド・ロールをとるのか」とリーダーに聞かれ、「よくわからないことに口を出して、グループに迷惑をかけたくない。完璧に理解しないとだめだと思っているからだと思う」と私が応えると、「グループに迷惑をかけずに、完璧にふるまいたいという思いでとっているオールド・ロールが、逆に自分が望むようになることを妨げている。そのオールド・ロールをやめて、グループでアクティブに機能する、あなたが望んでいるようなメンバーになるのか、それともそのままオールド・ロールを取り続けるのか、それはあなたの選択だ」とリーダーは言いました。もちろん私の選択は、オールド・ロールをやめる、ですが、それこそ知らず知らずに繰り返し出てくるこのロールは、そう簡単に脱ぎ捨てられるものではありません。これは、今後の私の課題の1つになりました。こう書いてくると、これまでのブログに書いた私のグループ体験も、このロールで理解できることが繰り返し出てくることに気づきます。

 

 さらに、私がこの発言をしたことで、意見の食い違が生じたうちの片方のメンバーが「自分もオールド・ロールをとっていたことに気が付いた」と発言しました。「いつもきょうだいの中で劣等感を感じていた自分は、なんとか自分が優位(one-up)な立場になりたいと思ってきた。そのone-upになろうとするオールド・ロールを取ることで、Akaneone-down(子どもという、劣等の立場)の役割をとるように、暗黙に誘導していたかもしれない」と。

 

 やはり発言しなければ、グループで何が起きているか、お互いにわかりあうことはできないものですね。

2015年2月 3日 (火)

22)We have a same problem ―僕たちは同じ問題を抱えてる

 日本は今日、節分ですね。私は無事に学会とワークショップを終えてブログを再開しました。ニューヨークで参加したアメリカ精神分析学会は、週4日、寝椅子で自由連想をしているオーソドックスなケース発表から(それはそれで結構面白かったのですが、でも10年ぐらい通うのがあたりまえ、というのをきくと、「同じ時間を使うなら、私だったら他のことに使うな」という気がしました)、入院患者を対象に週4日の自由連想を病棟の一室でやっているものとか、でも発表されていたのはいわゆるA-T スプリット(薬物や環境調整などの管理者 Administrator、一般的には主治医が行う役割と、心理療法担当者 Therapist、この発表の場合には精神分析を施行している人の役割を、完全にわける Splitやり方で、Therapistは心理療法のみに専念し、患者の病棟での様子など日常的なことには関わらず、よりオーソドックスな精神分析に近い手法のこと。日本ではもっぱら A-T Splitと呼びますが、アメリカの学会ではTA Splitと言っていました。精神分析学会だけに、Therapistの方が先にくるのでしょうか?)ではなく、精神分析を施行しているセラピストも、病棟の申し送りや各種のミーティングに参加していて、まさに病棟のグループ・ダイナミクスが治療に大いに活用されている発表でした。発表者は「グループ」といわず「チーム」と言っていましたが。

 

 それと、アメリカの精神分析家で世界的にも有名なオットー・カーンバーグという人が、指定討論者になっていたワークショップに出たのですが、それがなんと「精神分析的ビジネスコンサルティング」のワークショップで、まさにオーソドックスな精神分析とはかなり異なる立ち位置のもので、それに重鎮のカーンバーグが(Wikipediaによれば、彼は1928年生まれの86歳、なんとYvonneよりも1つ年上で、そういう年にはみえないぐらい若々しくお元気そうでした)指定討論者をするのにも驚きましたが、そういう自分たちのやり方や事例を報告した発表者に対して、カーンバーグが「(異端なことをしているといった)すまなさそうな話し方をしているのが気になる」と言い、締めくくりに「精神分析家を育てる今の教育システムは機能していない」という意味のことを言って、いわゆるオーソドックスな精神分析を、現代社会のニーズにマッチするようにいかに変えていくかという課題に、彼が精力的に取り組んでいるのが本当にすばらしいと思いました。

 

 ストックホルムは古い建物とこぢんまりとした石畳の路地がある美しい街で、それでいて中央の駅など、大きくて近代的なところもあり、こういうところで生まれ育つと、人は(良い意味で)違った風になるだろうなと感じました。今度は仕事や勉強ではなく、プライベートでゆっくりと行ってみたいところです。できれば夏に。

 

 さて、前置きが長くなりましたが、これから書くことも、さほど前置きと変わらないような私の体験です。

 

 セミナーの帰り、私はフィラデルフィア行きの列車に乗るために、ニューヨークのPenn駅にいました。アメリカにはアムトラックという、日本でいうとJRのような、全国を走る鉄道があります。ニューヨークとフィラデルフィアは、アムトラックで1時間半ほどの距離です。Penn駅の一角には、アムトラック利用者専用の待合室があり、そこに入るには自分が乗る列車のチケットを入り口で見せなければなりません。私がそこへ入ろうとした時に、ビジネスマン風の男性も同じくそこへ入ろうとしていて、私たちは入り口でかち合ってしまいました。男性が手で“どうぞ”というジェスチャーをして先を譲ってくれ、私は鞄からチケットを取り出して入ろうとしたのですが、チケットがなかなか見つかりません。それで後ろを振り返って、さきほどの男性に“お先にどうぞ”というジェスチャーをしたのですが、どうやらその男性も鞄の中のチケットがみつからないらしく、ちょっと笑いながらこういったのです。

 

We have a same problem.”―僕たちは同じ問題を抱えてる

 

 日本でこういう時にもし何かいうとしたら、「僕もチケットが見つからなくて」という感じでしょうか。これを英語にすると“Neither I can't find a ticket”になります(ちょっと英語に自信がありませんが)。何がいいたいかというと、その男性が言った言葉の“We”が、私にはとても新鮮に聞こえてなんだか嬉しかったのです。「僕も」という彼の状態ではなく、「僕たち」という、彼と私の状態として語ったことが。そこには仲間が、SCTでいうところのサブグループの存在が感じられて、困っている時の心細さが少し減ったような気がしました。日本では、あまりこういう表現を使わないのではないでしょうか?

 

 今、翻訳をしているYvonneの本にも、セラピストであるYvonneとグループのメンバーの作業が“We work …”という記述で沢山でてきます。まさにセラピストもグループの一員であり、「私たち」が一緒に作業するイメージです。日本語は主語が省略されることも多いので、Weの想定で語られていても、それがはっきりとは意識されにくいだけかもしれません。どちらにしてもPenn駅でのこの体験は、“We”という視点でとらえることの大切さに、あらためて気づかされた体験になりました。ちなみに、「私たち」はほどなくチケットを見つけることができ、無事に待合室に入れたのでした。

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